夢だった小学校の先生②
小学校3年生で出会った恩師をきっかけに教師を目指すこととなった。
中学校ではテニス部に入り、部活漬けの毎日を送った。顧問の先生はとても熱心で、小体連の役員でもあった。
休みは週に一度だけ。もちろん土日も部活があった。中学校の先生は本当に大変だと思う。でもその先生は部活もやりがいの一つだったんだろうな。凄く生き生きとしていた。
私もそんな先生のもとで厳しくも温かい指導を受けて、楽しく部活動をしていた。
運動もそこそこ、勉強もそこそこ、特に得意な教科もなし。なんでも卒なくこなすタイプだった私は、やはり多様な教科を一人で受け持つ小学校の先生が合ってるのかも…と次第に意識するようになった。
高校はそこそこ偏差値の高い私立の女子校に入り、部活と勉強の毎日を送った。
教育学部を目指して勉強をしたが、希望した大学には入れず…
結局、高校の付属のFラン大学、小学校教諭の免許が取れる学科に拾ってもらった。ちょうど東日本大震災のときだった。
落ち込んでいる私に母は、「小学校の先生に学歴は関係ない。免許を取って試験に受かればいいんだから。」と励ました。
大学で勉強していい先生になろうと決意をした。
夢だった小学校の先生①
私が小学校の先生になりたいと思ったのは小学校3年生のとき。担任の先生は35歳くらいの男の先生。その当時は「若い」と言われていた。今ほど若い先生はいなかったから。
その先生はいつも一緒に遊んでくれて、得意なイラストでみんなの心を掴んでいた。
テストで満点を取った子には、オリジナルのイラストをプレゼントしてくれた。ワンピースやハリーポッターなどみんなが好きなキャラクターをたくさん描いてくれた。
男女問わず、みんな先生が大好きだった。私が友達に対して悪口を言ったとき、先生は直接じゃなくクラス全体に話をした。もちろん名前は伏せて。
悪口を言う=その人を羨ましいと思ってるからだ
とその先生は言った。相手に嫉妬してるんだと。すごくダサいことなんだと。
私は自分が本当に情けないやつだと思った。それ以降悪口を言うのはやめようと思った。
子供の心を掴み、指導するのが凄く上手な人だったんだなと今でも思う。
私もこんな先生になりたい。こんな素敵な人になりたい。
いつしか小学校の先生になりたいと強く思うようになった。
プラ板でアクセ作り
はじめは売るつもりはまったくなく、ただの気晴らしでハンドメイドを始めました。
まず1番最初に作りはじめたのは、プラ板とレジンを使ったアクセサリー。
プラ板って…小さいときに作ったことがある人も多いと思います。オーブンに入れると縮むアレです。笑
実は今、プラ板も色々な種類があって、100円ショップでも気軽に手に入ります。
例えばフロストタイプなら、表面がザラザラしているため色鉛筆を使ってイラストを描くこともできます。
これがとっても便利で、マーカーペンだと色ムラが出やすいところも、色鉛筆だと上手く誤魔化せます!
絵が描けなくても薄くなるだけでほんわかとした温かい色合いになり、とっても可愛いです。
これが初めて作ったピアス。
初心者でもそこそこ形になりました。
ぜひ試してみてくださいね!
はじめまして。
はじめまして!さくです。
趣味はハンドメイド(*゚ー゚)
ストラップ、ピアス、ネックレスなど…
様々なものを作成してきました。
ハンドメイドを始めたきっかけは、プロフィールにある通り…
うつ病で休職をしたからです。
小さい頃から夢だった小学校教諭になり、朝から晩まで夢中で仕事をしていました。
多忙な毎日と自分が思い描いていたものと違うというギャップに押し潰されそうになりながら日々を過ごしていました。
ある日突然、身体が動かず、職場に行けなくなりそのまま半年間の休職をしました。
外に出られず、家で引きこもるばかりの生活。そんな時、希望を与えてくれたのはハンドメイドでした。
おかげで今は転職して新しい仕事をしつつ、副業でハンドメイド雑貨を販売して楽しく生活しています。
もちろんお金になるっていうのはとてもありがたいことなのですが、それ以上にうつ病から救ってくれたことに感謝をしています。
仕事は自分の首をしめるものではない。
無理せず好きなことをすることがどんなに大切か、身をもって実感しました。
やりたくないことをやっていても仕方がない。
もう一度自分を見つめ直して、新しい一歩が踏み出せるように、少しでも力になれればと思っています。
よろしくお願いします!!